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惑いの迷宮


聖域、黄金十二宮にある文書館。最近になってここへの出入りを許されたエアは、数回目の入館で大発見をした。

クセノフォンの『アナバシス』。パピルスではなく、紙製の冊子体のもの。何代かに渡る写本の成果なのだろう。外の世界では、散逸したものとされる部分も残っている。


今日は時間が出来たので朝から挑戦しに来たのだが、時間が早かったせいか、棚から取り出すのにいつも使っている脚立が見当たらない。仕方なく年代物の木製のハシゴを使った。

長年使用されてきたそれは痛みが激しく、ささくれ立っている。運ぶ際には気をつけていたが、目的の本を手にしてつい気が緩んでしまったらしい。

「い、ったー!(わわわ〜つい声を出しちゃった)」

周囲を見渡す。ひとけのない館内。どうやらお咎めはなさそうだ。ホッとしたものの、手に刺さった太い刺をぬいてしまわないと。


「ピンセットが無いと無理かなぁ…痛たたた…」
「おい」
「ひゃあ!?」

他に誰もいないと思っていたので、先程より大きな声を出してしまった。慌ててケガをしていない方の手で自分の口を押さえて、振り返る。

黒い短髪の少年が背後に立っていた。瞳も、髪に負けない奥行きを感じさせる色だ。


「何をやっている。そんなやり方では傷を広げるだけだぞ」

彼はそう言って、エアの傷ついた人差し指の付け根を強く握った。

「少し痛いが我慢しろ。俺が傷口を開いたら、刺を抜け」
「な、何を…?いっつぅ!」

少年が、右手を軽く傷の上で滑らせた瞬間、皮膚がスパっと裂けた。


「俺が血管を押さえているから、出血はたいしたことない。さあ、早くやれ」

エアはあっけにとられ、命令されるまま、刺さっていた細片を取り除いた。


「よし。本当は消毒をしてからの方が良いのだが…。応急処置として傷口を塞いでおくからな」

先ほど、鋭利な刃物のように肌を傷つけた彼の右手から、今度は温かい気が発せられた。きつく握られていた人差し指の根元から手が離れた頃には、傷口はきれいに塞がっていた。痛みも殆ど感じなくなっている。


「あ、有り難うございました!(これも小宇宙の力なの?)

 あの…」

「シュラだ。山羊座のシュラ」

「有り難うございます、シュラ様!」

慌てて頭を下げた。(うわぁ〜黄金聖闘士だぁ〜;;;)


シュラと名乗った少年は関心なさそうに一瞥するとキツイ口調で言った。

「ところでお前、見かけない顔だが…本当に筆頭従者なのか?

 もし侵入者ならば、今更だが容赦せん」

『あ…やっぱり突っ込まれた………;;; 』


確かに聖闘士本人か、代理としての筆頭従者しか来ない場所だとは聞いていた。そこで、古代ギリシア史を勉強していた自分なら興味が有るだろうと、彼等がこの場所への出入りを勧めてくれたのだと説明した。

「獅子宮…か。

 筆頭従者でもない者に文書館への出入りを許すなど、お前のところの主は、実に変わり者だ」

「はぁ、はい…」


アイオリアが何かと型破りな性格であることも、ガランを見ていれば自ずと知れる。真実を突いてる言葉に、ただ頷くしかない。


「しかし悪い奴ではない。
 誤解を招くような行動は控えるよう、周囲の者が気をつけてやれ」

本人に言うのでなく、周りが注意しろと。その言い方が妙に彼女の印象に残った。





その日の夕飯の準備中、指先に貼った絆創膏に気づいたアイオリアが呆れた様に言う。

「また怪我したのか?お前、案外おっちょこちょいだなあ〜」

「あ…今度は包丁で切ったんじゃありませんよ〜

 文書館にあったハシゴの棘が刺さっちゃいまして…
 たまたま居合わせたシュラ様が応急処置をして下さったので、傷口も綺麗に塞がってるんですけど、一応手当てをと…」


エアの言葉はガシャーン!という音で遮られた。突然の大きな音に驚いてアイオリアの手元を見る。砕けるほどの力で握ったグラスを、テーブルに強く置いた音だった。

何事かと彼の顔へと視線を上げる。そこでは、怒りの籠った瞳が自分を捉えていた。

「俺の前で兄貴の仇の話なんか、すんじゃねぇ!!」

そう怒鳴るなり、食堂から出て行ってしまった。


「かた…き………?」

アイオリアは確かに喜怒哀楽が激しいが、先ほどの怒りは、いつもとは全く違っていた。小宇宙を感じる事が出来ないエアですら、その気迫故に震えが止まらず、ペタリと床に座り込んでしまった。

恐れと戸惑いと、混乱したままの彼女を見つけたのは、間をおかずに駆けつけたガランだった。






「アイオロスに差し向けられた刺客が誰であったのか、君に話しておかなかったのは、先入観を持った状態でシュラ様を見て欲しくなかったからだよ」

気持ちが落ち着くから…と、ガランが淹れてくれたカモミールティーを口にしながら、エアは彼の話に耳を傾けていた。


「シュラ様はアイオロスのことを本当に敬愛していた。そして幼い頃のアイオリア様だって、シュラ様に懐いておられたんだ。

 シュラ様は、討伐の勅命を果たし帰還した後も、アイオロスを貶めるような言動はなさらなかった。むしろ『聖域の英雄』と、祭り上げられる事を拒んでさえいた」


焦点がうまく合っていなかったエアの瞳に光が徐々に戻ってきた。

「ガランさんは…憎んではいないんですか?大切な親友を奪われたのに」

「あれは勅命であり、聖闘士は自らの情を挟めない。

 例えばもし、アイオリア様自身が勅命を受けていたら、己の手で兄を倒さねばならなかった。それは本人もよく分かってらっしゃるんだよ」




話を聞いていたエアの涙は止まらなくなっていた。嗚咽を挟みながら、シュラに出会った時の印象を必死で説明する。

「憎い…とか、恨まれ…てる事……に対す…る苛立…ちと…か……感じま…せん……でした。

 私…が獅子……宮の…二人目…の従者……で…ある…と…分かる…と…逆…にアイオリア様…を…心配…されて…る旨…を…口に…され…て……」

獅子宮以外にもアイオリアの味方は居るのかもしれないと、嬉しく思ったのだとエアは語った。
一方で、あの場で怪我などしなければ、こんな事にはならなかったと自分を責め、と同時に己の意思に反して生じた確執を抱えたままの二人の心情を察して哀しんでいた。



「…君が今語ったことを、アイオリア様に伝えてみるかい?

 あれから5年近くが経とうとしている。アイオリア様にとっても、良い機会なのかもしれない」


「君さえ良かったら…」と、エアの代わりにガラン自身が、シュラの言動を伝えようと提案した。何せ先ほどと同じ怒りを受けることにもなりかねないのだ。防御の術さえ持たぬエアにとっては、非常にキツイ任である。



「………いえ、私…行きます」

折角落ち着いた震えが、また始まっていた。

「シュラ様と全く面識がなかった私だからこそ、伝わるものがあると思うから…」







怒りにまかせて、夕飯をすっぽかしてしまったアイオリアは、すきっ腹を抱えて少し後悔をしていた。そこへ彼の居場所をガランに教えられたエアが現れた。夕食一式を載せたお盆を持って。

バツが悪そうにソッポを向く獅子の脇に、胃袋を刺激する香りを漂わせた料理満載のお盆が置かれる。

「晩御飯、遅くなってしまってごめんなさい」

「お、おう…」


アイオリアが食べ始めてからも、エアは獅子宮へ戻ろうとはしなかった。さっき怒鳴ってしまった引け目もあり、気まずいながらも彼女の気の済むようにさせていた。


お盆の上の食器をアイオリアが全て空にした時、エアが口を開いた。

「アイオリア様のお耳に入れたい事があります」
「仇の話なら聞かねぇ」
「仇じゃありません。シュラ様の事です」
「だから仇じゃねーかよ!」

また大きな声を出してしまった。エアは目に見えて震えている。


「お兄さんの…仇…であると、私…が知る前…のシュラ様…です…!」


その場から去ることは簡単だった。しかし震えながらも勇気を振り絞って訴えるエアの言葉を無視することは、アイオリアのプライドが許さなかったのだ。







それから数日後、黄金十二宮の中にある黄金の間。定期集会があるこの日、既に数名の黄金聖闘士がこの場に集結していた。
そこへ聖衣を纏ったアイオリアが姿を現した。間の空気が緊張する。だがその緊張を、豪快な笑い声が即座に破った。

「久し振りだなあ、アイオリア!」

牡牛座の黄金聖闘士アルデバランが笑顔で近づいて来た。色々と気にかけてくれる彼であったが、今のアイオリアにとっては、捕まりたくない相手だ。
不機嫌そうな顔で睨みつける。その表情に気づいているのかいないのか、アルデバランは全く調子を変える様子は無かった。


「…それにしても、お前は相変わらず小さいなぁ!ちゃんと食ってるのか?」

そう言って獅子の背中をバシバシと叩く。思わずポーカーフェイスが崩れアイオリアが叫んだ。

「うっせェ!お前ぇがデカ過ぎんだよ!!」


その時また一つ、黄金の間の星座像に火が灯った。

「…アイオリアか、珍しいな」


今度の星座は山羊座だった。先ほど以上の張り詰めた空気が場を満たす。途端に牛獅子漫才を止め、シュラに近づくアイオリア。
心配そうな表情でそれを追うアルデバランだったが、獅子を引き止めることはなかった。


「ウチの従者が世話になったな」

アイオリアは感情を押し殺した声色でシュラに礼意を伝えた。一瞬、何の事だか思い出せず困惑した表情を微かに浮かべたシュラだったが、文書館での事を指しているのだと思い至った。


「ああ」

「だが、お前が兄貴の仇である事に変わりはない…」

そう吐き捨てるように言うと、踵を返した。


獅子の像の火が消えた頃、シュラの口が再び開いた。

「ああ…そうだ」




作成日:150816



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